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高森明勅
2019.4.6 07:00皇室

津田左右吉博士の「元号」擁護論

戦時下の特殊な「空気の支配」の中で、
大学の職を追われ、著書も発売禁止の処分を受けた
津田左右吉(そうきち)博士。
 
占領下に、GHQの指示で皇室典範から「元号」の規定が
削除されるという、新しい「空気の支配」のもと、
知識人達の間で元号廃止論(=西暦公式採用論)が
唱えられるようになった時には、堂々と元号“擁護”論を
発表された(『心』昭和25年7月号)。
 
その一部を紹介する。
 
「新しい憲法におきましては、天皇は日本国の象徴である、
或(あるい)は国民統合の象徴である、ということになっております。
天皇は旧憲法の如(ごと)く統治権は持って
いられないけれども、国家の象徴であり、
国民統合の象徴であられるわけであります。
天皇の位(くらい)に在(あ)られるのは
国家または国民統合の象徴としてである。
こう考えますと、天皇の御一代に元号という
1つの名称をつけることは、やはり国家または
国民統合の象徴としての意義を元号に持たせる
ことになります。
主権在民の国家、主権をもっている国民、
その国家と国民の統合の象徴としての天皇の
在位を示す元号は、それが即(すなわ)ち国家を
象徴するもの国民の統合を象徴するものなのであります。
ここに民主政治の精神をもっている元号の意義がある、
というべきであります」
 
「日本人は世界人としてはたらかねばならぬ、
世界の文化の発達に参与し、世界の平和、
世界の繁栄、に貢献しなければならぬ、
ということには、勿論(もちろん)、異存はない。
しかし今日(こんにち)の世界に於(お)いて
国家は現に存在しています。それが存在する以上、
国民としてのはたらきが無くてはなりません。
偏狭な国家本位の思想、自国中心の態度がよくない
ことは、申すまでもありませんが、国家の存在を否定
することはできません。
 
国民的結合の存在を否定することはできません。
現在の状態がそうであるのみならず、もし未来に
世界政府というようなものが成り立つとしましても、
国家の機能のすべてをそれにもたせることは、事実、
できないことであります」
 
「世界と日本を対立的関係にあるものと見て、
世界人としての生活は日本人としての生活を否定
するもののように思うのは、まちがいでありましょう。
…西暦によし世界的意義があるとするにせよ、
それを公式に採用し、そうすることによって、
日本の国家の象徴、国民統合の象徴、である元号に
よる年の数え方を廃止しよう、という考(かんがえ)は、
意味の無いものといわねばなりません。
 
これは西暦が世界的意義があるとしてのことで
ありますが、その世界的意義というのは、
(イスラム暦など異なる紀年法を使用する地域も
ある等―引用者)制限せられた意味でのことで
ありますから、それを公式に採用しなければならぬ
理由は、その点からも弱められます」
 
「今日は国家とか皇室とかいうことばを用いる
ことが憚(はばか)られ、もしそれを用いる場合には、
それをよくない意味にとって、非難したり軽侮(けいぶ)
したりするのが知識人のとるべき態度のように思われて
いるらしく見えます。
国家ということをいえば国家至上主義、自国本位主義、
または軍国主義を主張するもののように考えられ、
皇室ということをいえば民主政治に反対するものの
ように感ぜられる、という理由があるかも知れませんが、
こう考えられ、こう感ぜられるということが、実は
まちがいであります。
 
戦時中に宣伝せられたことを非難する気分がそれに
含まれているかと思いますが、実はその宣伝をそのまま
うけついだものであります。
今日は、こういうまちがいをなおして、
正しい国家の観念、正しい皇室観、をうちたてねば
ならなぬ時であるのに、そういうことに力を尽くそう
としないところに、今日の知識人の多くを支配している
流行の力があります」
 
「戦争によって明らかにせられた日本人の短所や
欠点を指摘してそれを改めようとするところから、
日本の過去を何か醜悪なもののように思い、
そのすべてを破壊しようとする態度が、
やはり知識人の間に流行しているようであります。
 
この態度はまた日本人を世界の劣等民族であるかの
如く考えて、何ごともヨーロッパやアメリカのまねを
しなければならぬように思うことと、つながりがあります。
いわゆる西暦を用いて元号をやめよ、というのは、
こういう流行思想の1つの現われではありますまいか」
 
「弊害のあることは変革しなければならず、
変革するにためらってはなりません。…けれども
変革する必要の無いことを変革しようとすれば、
それは却(かえ)って弊害を生ずる。少数の人々の
ひとりよがりの考から、或は流行の勢(いきおい)に乗じて、
または自分たちが世を動かす大きな力をもっているが如く思って、
必要の無い変革を行おうとすれば、それに対する反抗または
反動が起(おこ)る、そうしてそれは必要な変革を妨げる力と
なるものであります。
 
…特に西暦の公式採用元号の廃止というようなことは、
風俗や習慣を改めるのとは違って、国家の権力によらねば
ならぬのでありますから、それを実行しようとするには、
国民全体がその必要を感じ、なめらかにそれを受け入れる
ようでなければ、権力の強制に対する不満または
反抗が起るべきことを考えねばなりません。
 
もし国民の多数がそれを欲しない場合に、
権力によってそれを行おうとするようなことが
あるならば、それは民主政治の精神に背くこと
なのであります。そうして今日に於いては、
国民の多数がそれを欲しないことは、事実として認め
ねばなりますまい」
 
―津田博士が戦時中、
厳しい弾圧に苦しんでいた時には、
時流に乗って“偏狭な国家至上主義”を
唱えていた連中が、占領当局の意向に迎合して、
いち早く元号廃止の旗振り役を演じたのではないか。
 
「戦時中に宣伝せられたことを非難する気分が
それに含まれているかと思われますが、実はその
宣伝をそのままうけついだものであります」
 
というのは、鋭い指摘だ。
 
この時、占領下の新しい「空気の支配」に
迎合して元号廃止論を唱えた知識人達の“流れ”が、
今も影響を残していると見なければならない。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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